| わくわく感動発見の旅 <伊豆高原いやしの郷 『身心養生苑』にて> (取材記事―リポーター・早坂 陽子・平成15年4月5日) |
山と海に囲まれた『身心養生苑』 東京から電車で約2時間。 自然がいっぱい、それでいてちょっとおしゃれな雰囲気の伊豆高原に、今、 ちょっと注目されている、いやしの郷「身心養生苑」があると聞きやってきました。 ここは伊豆高原駅から車で10分。山の中の別荘地というだけあって、さすがに気持ちがいい。空気が澄んでいて、ウグイスやメジロたちのさえずりも心地よい。車で上ってくる途中には、広い海も見えておもわず感激しました。 身心養生苑につくと、まずはスタッフがあたたかく迎えて下さり、鬼木豊苑長ともお会いすることができました。 鬼木苑長は存在感のある方で、話を伺っていると自然に引き込まれていく感じです。部屋には、鬼木苑長の著書もずらりと並んでおりました。 今日はちょうど、研修を終え午後帰られるという方たちが数人いらっしゃって、少しお話をうかがうことができましたので、まずそちらからご紹介しましょう。 過食症の本当の原因がわかったKさん Kさん、22歳は大学をもうすぐ卒業し、テレビ関係の仕事もされていて、ダイエットが主な目的で来苑されました。最近は、過食症のような症状も出てきたので、それも治したいという思いもあったそうです。効果のほうはどうだったのでしょうか。 「3日間断食をし、体ももちろんすっきりしましたが、私にとってうれしかったのは、内観などで自分の心のうちを見ることで、過食症の本当の原因がわかったことです。 その原因とは、今、テレビ関係の仕事をしているのですが、結局は会社にふりまわされ、言いなりになって、自分のやりたいことができず、感性というか、本音が抑圧れていたーということです。 ダイエットにしても、会社からいつもやせろと言われていて、すごくストレスでした。 そして、自分はどうしたいのか自分でもわからなくなって、うつ病っぽくなり、家でじっとしてはいつも食べてばかり・・。生理も止まってしまいました。 ここでは、内観をしたり、やりたいことをいろいろ書き出したり、鬼木先生にアドバイスしてもらったりして、ずいぶん自分のやりたいことが見えてきました。 まずいまのプロダクションを辞めて、ストレスから解放されようと。そして、結婚か、舞台の仕事かという選択に悩んでいましたが、今は、まず自分にあった新しいプロダクションをみつけて、前からやりたかった舞台のほうをやろうと心が決まり、すっきりしました。 今まで、何をしても何を食べても、心は満たされませんでしたが、今はとても心が明るくなって、やりたいことが見えてきました。 それから、断食明けの日に、2ヶ月なかった生理がきて、びっくりしました。体の毒と一緒に、心のもやもやももとれたからだと思います。 これからが楽しみです。」 そう話されるKさんは、はちきれんばかりの笑顔でとてもうれしそうでした。 摂食障害に大切な“心のケア” 最近は、来苑される方の中でも、過食症などのいわゆる摂食障害で悩む若い女性が増えてきているということです。 その原因は、単にダイエットの反動というだけでなく、Kさんの例でもわかるように、どうも心に潜む問題やストレスにありそうですね。 そのあたりのことを鬼木苑長に伺ってみました。 「たとえば過食症という摂食障害は、満たされないむなしいしい思いを、食べることによって満足させようとしているわけですから、それを治すには、その満たされない思いが何であるか、自分の心としっかり向き合うことが大切ですね。 病院に通い薬を飲んでいたという人も多いですが、決して薬で治るものではありません。むしろ薬の副作用によって、体はますます病んでしまいます。 断食によってからだのアカを出しながら、Kさんのように内観という作業によって、内なる心を観る、あるいは個人指導などによって、しっかり自分の生活を見つめれば、自分の本当の欲求は何なのか、本当の問題は何なのか、みずから気づくことができます。 ここは、単なる断食道場ではありません。体だけでなく、心もしっかりケアしようというのが、身心養生苑の大きな特徴です。そして人間として自立した自由な生活ができるため、生き方を改善して心身ともに健全な自分を創ることに、身心養生苑の目的があります。 そのために感性の生き方のアドバイスや、東洋の指圧・鍼灸治療や、自律神経免疫治療なども受けることができます。ですから、“身心”なのですよ。」 なるほど、その辺の病院ともまったく違うし、今ブームの断食を教えるだけのところとも違うようです。確かに、心の問題が薬で治るわけもないし、断食で一時的に体がよくなっても、気持ちのあり方も変わらなければ、家に帰ってまた元どおり・・ということかもしれません。 過食症が10年以上続いたSさん もう一人の女性、Sさん35歳も同じく過食症で来苑され、今日で1週間。 彼女の場合はかなり重症で、過食症になってから12、3年になるといいます。 どんな症状なのでしょうか。 「おなかが空いたとかいっぱいになったとかという感覚もなく、時間が来たから食べる、すると止まらなくなってお菓子やパン、スナックなんかをいっぱい食べてしまう。そして指を入れて全部吐くんです。食べて吐いてすっきりするという快楽を覚えてしまい、それでストレスを解消しようとしている毎日でした。 こんなことは普通じゃないとわかってはいるけど、だめなんですね。 夜も眠れず、薬を飲んでいました。死にたいと思ったこともあります。」 一見するとそんなふうには見えず、とても晴れ晴れした表情のSさん。いったいこの1週間どんなことをされ、どういう変化があったのでしょうか。 「最初の3日間は断食をし、それからは半断食で野菜のジュースや生野菜、少しずつおかゆなどを食べました。 朝は山の中を散歩したり、車で来たので、昼間はいろんな温泉めぐりをしたり自由に過ごしました。時々、体の治療もしてもらいました。 何も強制されることはありませんし、自分で決めて行動するので気が楽でした。 ここに来たときは、もやもやしたいろんな思いがあって、話をしても涙が出るしずっと不安定でしたが、少しずつ落ち着いてきて、今はとにかくわが家に戻り、これまでずうっと恨んできた母が懐かしくなつて、会いたくて仕方がありません。」 Sさんに起きた大きな心の変化 Sさんのもやもやした思いが何だったのか、率直に伺ってみました。 「小さい頃から両親は、けんかばかりして仲が悪く、私はいつも間を取り持つような感じで、いつも寂しく子供らしくありませんでした。 20年位前に両親は離婚をしたので、それからは私が働きながら、父と祖母の面倒を見て家事もしているわけです。 父は、小さい頃から、私に厳しく、けったり殴ったりしていたので、私にとってはとても怖い存在で、それは今も変わりません。父に対する恐怖感や、仕事で疲れていても家事をしなければいけない不満、そしてそれは母がいないからだという母への恨み、さまざまな思いが交錯していたと思います。」 それは本当につらかったに違いないと思いながら、なぜお母さんに会いたいという気持ちに変わったのか、聞いてみました。 「内観にも挑戦しましたが、あまり深まりませんでした。 ここにいる間、鬼木先生がいろんな話をしてくださったのですが、そのことではじめて気づいたことや、心にストンと来る思いがいくつかありました。今思えば、それが私の気持ちを変えたんだと思います。 たとえば、今までは、自分の立場からしか親を見ていませんでしたが、はじめて母の立場にたってまわりを観ると、いかに母がつらかったか、苦しかったかということが、実感として感じられたのです。 今までは、母のせいで私が母の代わりとなって、家事をしなければいけないし、祖母の面倒も見なければならないという不足不満だらけでした。 しかし、母の立場に立って観れば、いろんな仕打ちに耐えながら、子供たちが大きくなるまで家出もせず、必死になって育ててくれたんだと思います。 それまで子どもたちのためだけに耐えていたわけですから、どんなにつらかったかと思うと、母にはじめて同情の気持ちが湧いてきました。今は、はやく母に会って、おわびしたい気持ちでいっぱいです。」 人の気持ちって、何かがきっかけとなれば、こんなに変わるんだ、と私もおもわず感動しながら話に聞き入ってしまいました。 そしてSさんは、みんなより早く身心養生苑をあとにし、帰られました。 その姿は、意気揚々とし、本当に輝いて見えました。 つらいことを乗り越えれば、KさんやSさんのように、人は本来の自分にもどり、本来の輝きをとりもどすことができるのですね。 しかし、内観があまりできなかったというSさんが、あれほど変わられたというのは本人もおっしゃるように、いろいろとアドバイスをいただいたりして、やはり鬼木苑長の存在が大きいようです。 鬼木苑長の若い頃の挫折体験 そこで今度は、鬼木苑長の素顔にせまってみましょう。 鬼木豊苑長は、福岡県出身、昭和10年生まれの現在68歳。 「身心養生苑」の苑長をされるほか、東京にある「身心健康堂」の理事長、そして青少年の感性教育が主体の「感性人間塾」の塾長もされています。 いわば医療と、教育という分野で、これまで多くの方のお世話をされ、いまも日々精力的に活動されています。 どうしてこういう道に入られたのか、聞いてみました。 「私は、小学校からの夢だった電気設計技師として、まず社会生活のスタートを切りました。ところが20代の前半、理想と現実のギャップに悩み苦しみ、心身症になってしまったのです。 本当につらく苦しかったですが、死のうとは思いませんでした。 “なぜ悪いこともしていないし、人一倍まじめで責任感の強い自分が、こんなに悩まなくてはいけないのか、人はどうしてこれほどの苦しみに直面するのか”、と真剣に自分に問いかけました。 今にして思えば、そういう問いを持ち、真剣に探求したからこそ、自らを助ける道が拓かれたのだと思いますね。 その体験こそが私の原点であり、ルーツです。 この話はここに来られた方にもよく話すんですよ。」 鬼木苑長が、若い頃とはいえ心身症になられたとはちょっとびっくりしましたが、だからこそ人の痛みにも敏感でいらっしゃるのかもしれません。 「自分自身が心身症になって悩み苦しんだものでしたから、今もそういう方の痛みやつらさは、本当によくわかりますし、共感できるんです。 また見方を変えれば、今のような日本の社会の中で、自分の本音を殺してただうまく周りに妥協している人より、自分に対して正直、自分の感性に忠実であろうとする人ほど、悩みや苦しみに直面するのだともいえるでしょう。私から言えば、むしろそのような人のほうが正常だということです。 そこで大切なのは、そういう苦難に対する受け止め方ですね。 先ほどの話の続きになりますが、私の心の探求が始まったわけですが、ワラをもつかむような苦しさの中で出会ったのが、私の生涯の師である丸山敏雄先生(文部化学省所管・社団法人・倫理研究所の創始者)の教えでした。そこで、“苦難観”というものを始めて知ったわけです。」 鬼木苑長を心身症から救い変革させた“苦難観” “苦難感”とは、はじめて耳にすることばですがー。 「“苦難は幸福の門”という教えは、当時、苦難の真っ只中にいた私にとって、まさに真綿が真水を吸い込むように、心に響き迫ってきました。 精神的な悩み苦しみによる身心の病,経済苦、事件事故、その他もろもろの挫折...などの苦難は、単にその人を苦しめるために起こるのではなく、間違った生活から正しい生活へとひきもどそうとして、その人がより幸せになるために天から与えられるものである、ということですね。 その人の生活や生き方の誤りを、苦難という痛みを伴って、その人にメッセージとして教えているわけです。そこを自分でよく自覚し、間違いや誤りを反省し改めれば、それまで以上の幸せと自由が待っているわけですよ。ですから、苦難に出会ったら、むしろ感謝するくらいの気持ちで冷静な態度で取り組むことが必要ですね。 まあ、そのことが自覚できてしまえば、苦難を解消することはそんなに難しいものでははありません。もともと自分の無知が生み出した苦難ですから,解決できない苦難なんか、与えられようはずがないからです。本当にそうですよ。 このように苦難の本質,素性がわかれば、喜んで迎え取り組み恐れることはありません。 それからもうひとつ、苦難には“試練”という意味もあります。自分のめざす道が正しく厳しければ厳しいほど、より本物になるために天から与えられるということですね。 そういう日本独特の苦難観が、実は古くから日本民族の中には根づいていたのです。それを丸山先生が説かれていたのですね。 丸山先生の教えは、宗教でも道徳でもありません。深い哲理にもとづきながら、身心が健康で幸福になるためには何を実践すればよいかという、万人にわかる生活倫理としての感性ライフを説かれたんですね。」 なるほど、苦難をそういうふうに受け止めれば、わたしも少し勇気が出てくる気がしました。 「当時の私の悩み、苦しみも、そういう気持ちで捉えれば、実は悩みの正体は、他人や会社やまわりにあるのではなく、自分自身の中にあると気づいたわけです。プライドが高すぎて、負けん気だけが強く傲慢な態度、職業観や働きに対する間違った考え、人生の無知からくる心配や迷い....。真実の自分を知って驚きおののくような思いでした。 それからの私は、丸山先生の教えを学びながら、これまでのまちがいを改め、不自然な生活を、宇宙自然に即した正しい生活へと変え、実践していきました。 それからというもの、自分でも驚くほど毎日が楽しく充実し、若き技術者として仕事に励むと同時に、野球、柔道、登山、茶道、詩吟、コーラス部、自動車部などと、青春のエネルギーはまさに燃え続けましたね。 心身の健康の回復はもちろん、とてもダイナミックな積極人間へと変わっていきました。」 ふと、自殺者が年間3万人という、日本社会の現実を思い出しました。 苦しみをどうとらえ、そしてどう自分を変えていくかで、幸福への扉を開くか、閉じるか、そして生と死までを決めてしまうのだと...。 さまざまな出会いの中で確立されていった“感性教育と感性医道” 幸福への扉を開き、自分を大胆に変えていった鬼木苑長は、それから、まさにご自分でもおっしゃるように、創造と冒険の人生を歩まれることになります。 周囲の反対を押し切り、10年勤めた電気設計技師を辞め、九州から上京されると、丸山先生の教えをさらに学び実践するため、倫理研究所に入られました。 そこでは、全国を講演して回り、さらに若い研究生を指導、教育する指導主任として、多くの人材を育成されました。 昭和45年には、内観創始者の吉本伊信先生との出会いにより、内観の指導を仰ぎ、ご自分でも体得、導入し、大きな成果を上げられました。 そしてその後、さらに新しい道を求め、倫理研究所をやめて独立。企業研修や教育活動などを中心に、全国をとび回り活動されました。 昭和62年には、世界で初めて感性論哲学を樹立した芳村思風先生との出会いがありました。感性のことがわかればわかるほど、鬼木苑長の感性の中で、丸山先生の生活倫理と吉本先生の内観が渾然一体となり、そして確立されたのが『自律を目的とした感性教育』と『“感性内観”と感性の直感的指導による感性医道』が誕生したというわけですね。 この『感性教育』と『感性医道』は、鬼木苑長の独創的で、身心養生苑もその考えに基づいて創設されたということです。 (詳しく知りたい方は、著書をお読みください) “人間丸ごと療法”へのとりくみ また、4年前には糖尿病と宣告されながら、医者に頼らず自分で治してしまわれたあたりはさすが!という感じです。 薬は飲まず、禁酒禁煙。それまでの食習慣も変え、烏骨鶏を飼うことで体を動かし、烏骨鶏の卵や卵油や酢卵をいただく...。 約1年後には体重も10キロ以上減り、血糖値も正常になって、医者が驚いたといいます。 その体験を気に、『烏骨鶏養生療法』や『万田酵素健康療法』に取り組むと同時に、予防医学や代替医療への道として、『人間丸ごと療法』を現在、研究実践しておられるということです。 烏骨鶏や万田酵素は、ここの身心養生苑や東京の身心健康堂でたくさんの方が飲まれ、いろんな病気や症状に大きな効果をあげているということです。 烏骨鶏や酵素については、イラスト入りの可愛い本も出されていて私も一気に読んでしまいました。 まさにその探究心と研究意欲はとどまることなく、年をとればとるほど夢や希望が膨らむ、若返る...といった感じなのだろうと、脱帽してしまいました。 引きこもりだった田口君の成長プロセス 最後にここで働くスタッフの一人、田口君という若者の話も鬼木苑長のほうから話していただき、とても感動したので、簡単に紹介しましょう。 彼は、出向かえてくれたときから温和で礼儀正しく、好感の持てる青年でした。しかし聞いてびっくりしました。 彼はある農業高校を卒業したものの、就職もできず、家で引きこもりになってしまい、昼夜逆転の生活でゲームやマンガにあけくれ、運動もせず食べ放題のために、体重が100キロ超えるまでになったそうです。 精神的にもイライラし、時には親に手を上げ、刃物を持ち出したこともあるといいます。 「でも今は、この身心養生苑には、なくてはならない存在ですよ。」と微笑まれる鬼木苑長ですが、どういう体験をされたのか、本人にも聞いてみました。 「ずっと引きこもりの状態で親も悩んでいたので、今から約4年前です。母と二人でこの身心養生苑に来ました。自分は先生とはほとんど話さず、母と先生がずっと話をしていました。 そして結局、東京の身心健康堂で、朝6時半からやっている指圧の練習に、遅刻せず休まず3ヶ月通えたら、この養生苑で生活しようということになりました。」 この生活を何とかしたいと思っていた彼は、週2回の早朝練習に、無遅刻無欠席で自宅から通ったといいます。そして、この身心養生苑での生活が始まりました。 「ここでは、早寝早起きをし、昼間はとにかくよく体を動かしました。畑の草むしりやいろんな作業、山歩きなど...。 食事は、鬼木先生にご飯の炊き方や味噌汁の作り方などを教えてもらって、規則正しく食べました。もちろんお菓子やジュースなどは全然食べません。 夜はもう疲れて自然と早くに眠るという感じでした。 そういう生活を続けていたら100キロあった体重が、4ヶ月で70キロまでに減りました。 すごく体が軽くなって、体調もよくなりました。」 4ヶ月で30キロ減量したとは、半端じゃありません。よくそこまでがんばれたものだと感心してしまいました。 「僕も今までの生活を何とかしたいと思っていたし、3ヶ月間、鬼木先生も一緒に生活してくれたので、いわれたことはちゃんとやろうと思いました。もともと体を動かすことは嫌いでないので、最初は太っていてつらかったですが、だんだん楽しくなりました。」 それからしばらくして、身心養生苑でも烏骨鶏の雛を飼うことになり、朝早くから毎日その世話に励んだそうです。生き物の世話は大変ながら、彼自身の喜びとなり、見事に夜型人間から朝型人間に変身したといいます。 鬼木苑長はこうおっしゃいました。 「人間も自然の生き物ですから、早く寝て早く起きるという、自然に即した生活が当たり前なんですよ。彼を見ていても、早起きができるようになってからずいぶん変わりました。動作が速くなり、消極的だったところが少しずつ積極的になって目的意識を持つようになりました。今は、もう早起きの名人ですよ。(笑) 彼のようにここで長期に滞在するのも、目的は“自立”ですから、最初の3ヶ月は私が一緒でしたが、後は時々来て指導するものの、基本的にはひとりで生活し彼の自主性に任せました。」 約2年間、この身心養生苑で生活した後、社会で自立するための訓練として、1年間、東京の身心健康堂で働き、今はまたここのスタッフとして働いているということです。 最近は、いろんな学びを通して、“気づき”が湧いてくるようになったといいます。もともと他人の感情に鈍く、何も感じなかったらしいのですが、この人は今こういう気持ちかな、とわかるようになったり、苑長に言われてもうまくできなかったことの原因を、自ら感じるようになったというのです。 鬼木苑長はおっしゃいました。 「教育とは、教えてわかることもありますが、大事なことは、本人が“感じてわかる”ことです。自分が何かを感じ、自らが求めなければ、いくら周りで騒いでも無駄です。それが“感性教育”ですね。 彼は、そういう意味でも、またこれから大きく成長すると思います。」 私も彼に、がんばれ!と声援を送りたい気持ちでした。 取材を終えて 泊り込みの取材を終え、何か新しい医療と教育に触れたような、新鮮な感動を覚えました。 今、摂食障害やひきこもリ、またうつ病など心の病を持つ人は、本当に多いと聞きます。いろんな医療現場で、さまざまな取り組みもおこなわれているのでしょうが、過食症だった彼女たち、引きこもりだった田口君の生き生きした姿を思い出すと、本当の医療とは何だろうと思わずにいられません。 ただ今は素直に、そういう人たちに身心養生苑の存在を知ってほしいな、とおもいます。 鬼木苑長が実践されている「人間丸ごと療法」、それは、体だけでもなく、心だけでもなく、もっとトータルに人間を癒していくことなのでしょう。それは、これからの21世紀の新しい医療の形でもあるような気がします。 それを実現させようと取り組んでいる『身心養生苑』に、私は大きな魅力を感じ、感動した2日間でした。 |
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